痩せたいという言葉
老若男女問わず、この言葉を聞くとイラつくのである。
こちらにお願いしてどうする。
会話、SNS、色々な場面で遭遇する言葉だがこちらに訴えられたところで困るから、理解に苦しむのである。
我、神の力を宿しもの。よってソナタを痩せた身体にしてしんぜよう、とでも返してあげたいが、こっちが惨めであり到底無理である。
聞いたところだと、話をすることが120kcal/1時間の消費だそうだ。
だから、そうだな…。痩せたいという言葉を1秒として、
毎日10000回ぐらい痩せたいと言えばいいんじゃないか?(1時間の運動量くらい)
と言い放ちたくなる。
がこれも違う。
そもそも痩せたいなら、痩せるための行動、運動なり食事管理なり、必要なことを実行することは誰でも分かることだ。だが、それを痩せたい言う輩に返答しても大抵相手が求めてるのはそうではないのである。おい。
逆に今で十分!と説得しても、とても応じてもらえない。痩せる必要のない人間がよくいうのに。
よってこの言葉にはイラつきを何度も覚え、ウンザリなのである。
そう、チーズ牛丼が食べたくなるのである。
せめて痩せて〜したいから、〜してるの。とか言ったほうがまだ会話が楽しいと思う。
すぐに叶いもしないお願いは、ナニカに頼むといい。